●1969年>言論出版妨害問題に対し野党が池田大作会長をはじめ関係者の証人喚問を要請
●同年>言論問題に自民幹事長-田中角栄が仲介に入り自民党の反対で証人喚問は実現せず。
●1970年代後半>地方の首長選で自公民が選挙協力を取るようになる。
<解説>
半世紀近く前から弾圧を恐れる池田創価学会は「反権力」の仮面を被りながら、国家権力である自民党と手を組み始めて居たと考えられる。
●1990年12月10日>沖縄県知事選で創価学会が支持した大田昌秀が沖縄県知事となる。
●1994年5月>自民党で四月会結成。創価学会と公明党の関係を『政教一致』と批判開始
●同年>11月20日>沖縄県知事選で創価学会が支持した大田昌秀が再選。
●同年>12月4日 自民党が池田大作名誉会長の参考人招致を画策
<解説>
野党に居て巨大集票団体化した創価学会が邪魔となった自民党は、今度は圧力によって、その巨大な集票力を利用しようと画策したと考えられる。
●同年12月5日>「公明党」を解散し「公明新党」と「公明」に分党。
●同年12月10日>新進党(新生党(小沢代表)・民社党・日本新党その他)に公明新党が参加。
●1998年7月12日>参議院選挙で自民党が大敗。
●同年11月15日>沖縄県知事選で創価学会が、大田氏の対立候補自民党推薦の稲嶺恵一を実質応援し当選。
<解説>
選挙で敗北し始めた自民党は危機感を募らせ、創価学会と取引をしたと考えられる。
自民党に協力すれば、創価学会批判や池田会長の参考人招致はしない約束である。
その結果、創価学会は、自らがあれ程応援し二度も知事にした太田氏を自らの手で落選させたのだ!!
●1999年1月14日>自民党と自由党(小沢一郎)の連立政権が発足。
●同年10月5日>自民党と自由党の連立政権に公明党が参加し自公(自自公)連立政権と成る!
●2000年4月1日>自由党(小沢一郎)が連立政権離脱。(その結果、自公連立政権)
●2001年>創価学会批判の四月会解散(解り易い^^)
●2003年>創価学会の池田名誉会長が武力行使を容認する見解を示す。
●2006年>自民党の安倍晋三が、創価学会の池田名誉会長と極秘会談
<解説>
まさに、自民党と池田創価学会の「お約束」通りに事が進んだのである。
●2007年10月16日>民主党副代表が《創価学会の集票活動》を批判。
●2008年10月15日>民主党副代表が、さらに《創価学会の集票活動》を批判!
●2009年 8月30日>衆院選で民主党が300議席超えの大勝利!
自民党119議席に転落。公明党も太田代表など選挙区候補全員落選!
<解説>
奇しくも私が創価学会を離れた2007年から希望の光が見えて来たのだが、、
●2010年2月26日>民主党の小沢一郎幹事長が創価学会前会長と会談
<解説>
公明党と手を組んだ経験からも創価学会の異常な集票力を知っている小沢氏は、いつかまた巨大集票団体である創価学会の「お世話」になるしかないと考え、自民党と同じく民主党及び野党による創価学会批判をやめさせ、創価学会を味方に取り込む道を選んだのだと考えられる。
※この後から、野党による創価学会批判が無くなった可能性が高い!
●2010年5月>創価学会の池田名誉会長が姿を隠す!
<解説>
公明党を自民党と組ませた事で難を逃れた池田大作は、これから、ますます創価学会員に説明のつかない公明党による悪政への加担が待っていることを念頭に置き、身を隠すことにしたのだ。
体調不良だけが原因ならば、体調の良い時に主要会合に出て来たはずだが、一切出て来ないのが証拠である!
●2011年3月11日>前代未聞の大災害(東日本大震災)で原発が破壊され国土と海が放射能汚染される。
●2012年11月16日>衆議院選挙で民主党が大敗。
●2013年12月6日>公明党の賛成で特定秘密保護法成立!
●2014年4月8日>公明党が原発再稼働を容認!
●同年年5月17日>創価学会が、集団的自衛権「行使できない」「憲法改正手続きを経るべき」と発表
●同年6月10日>飯島勲内閣参与 創価学会に対する政教一致批判が起こる可能性に言及
●同年6月12日>公明党が集団的自衛権の限定容認論を検討開始。
●同年7月1日>公明党が集団的自衛権行使のための新3要件閣議決定。
●同年7月2日>創価学会 公明党の集団的自衛権容認に対し理解を示す。
●同年>言論問題に自民幹事長-田中角栄が仲介に入り自民党の反対で証人喚問は実現せず。
●1970年代後半>地方の首長選で自公民が選挙協力を取るようになる。
<解説>
半世紀近く前から弾圧を恐れる池田創価学会は「反権力」の仮面を被りながら、国家権力である自民党と手を組み始めて居たと考えられる。
●1990年12月10日>沖縄県知事選で創価学会が支持した大田昌秀が沖縄県知事となる。
●1994年5月>自民党で四月会結成。創価学会と公明党の関係を『政教一致』と批判開始
●同年>11月20日>沖縄県知事選で創価学会が支持した大田昌秀が再選。
●同年>12月4日 自民党が池田大作名誉会長の参考人招致を画策
<解説>
野党に居て巨大集票団体化した創価学会が邪魔となった自民党は、今度は圧力によって、その巨大な集票力を利用しようと画策したと考えられる。
●同年12月5日>「公明党」を解散し「公明新党」と「公明」に分党。
●同年12月10日>新進党(新生党(小沢代表)・民社党・日本新党その他)に公明新党が参加。
●1998年7月12日>参議院選挙で自民党が大敗。
●同年11月15日>沖縄県知事選で創価学会が、大田氏の対立候補自民党推薦の稲嶺恵一を実質応援し当選。
<解説>
選挙で敗北し始めた自民党は危機感を募らせ、創価学会と取引をしたと考えられる。
自民党に協力すれば、創価学会批判や池田会長の参考人招致はしない約束である。
その結果、創価学会は、自らがあれ程応援し二度も知事にした太田氏を自らの手で落選させたのだ!!
●1999年1月14日>自民党と自由党(小沢一郎)の連立政権が発足。
●同年10月5日>自民党と自由党の連立政権に公明党が参加し自公(自自公)連立政権と成る!
●2000年4月1日>自由党(小沢一郎)が連立政権離脱。(その結果、自公連立政権)
●2001年>創価学会批判の四月会解散(解り易い^^)
●2003年>創価学会の池田名誉会長が武力行使を容認する見解を示す。
●2006年>自民党の安倍晋三が、創価学会の池田名誉会長と極秘会談
<解説>
まさに、自民党と池田創価学会の「お約束」通りに事が進んだのである。
●2007年6月4日>共産党が、《創価学会の集票活動》を批判。
●2007年10月16日>民主党副代表が《創価学会の集票活動》を批判。
●2008年10月15日>民主党副代表が、さらに《創価学会の集票活動》を批判!
●2009年 8月30日>衆院選で民主党が300議席超えの大勝利!
自民党119議席に転落。公明党も太田代表など選挙区候補全員落選!
<解説>
奇しくも私が創価学会を離れた2007年から希望の光が見えて来たのだが、、
●2010年2月26日>民主党の小沢一郎幹事長が創価学会前会長と会談
<解説>
公明党と手を組んだ経験からも創価学会の異常な集票力を知っている小沢氏は、いつかまた巨大集票団体である創価学会の「お世話」になるしかないと考え、自民党と同じく民主党及び野党による創価学会批判をやめさせ、創価学会を味方に取り込む道を選んだのだと考えられる。
※この後から、野党による創価学会批判が無くなった可能性が高い!
●2010年5月>創価学会の池田名誉会長が姿を隠す!
<解説>
公明党を自民党と組ませた事で難を逃れた池田大作は、これから、ますます創価学会員に説明のつかない公明党による悪政への加担が待っていることを念頭に置き、身を隠すことにしたのだ。
体調不良だけが原因ならば、体調の良い時に主要会合に出て来たはずだが、一切出て来ないのが証拠である!
●2011年3月11日>前代未聞の大災害(東日本大震災)で原発が破壊され国土と海が放射能汚染される。
●2012年11月16日>衆議院選挙で民主党が大敗。
●2013年12月6日>公明党の賛成で特定秘密保護法成立!
●2014年4月8日>公明党が原発再稼働を容認!
●同年年5月17日>創価学会が、集団的自衛権「行使できない」「憲法改正手続きを経るべき」と発表
●同年6月10日>飯島勲内閣参与 創価学会に対する政教一致批判が起こる可能性に言及
●同年6月12日>公明党が集団的自衛権の限定容認論を検討開始。
●同年7月1日>公明党が集団的自衛権行使のための新3要件閣議決定。
●同年7月2日>創価学会 公明党の集団的自衛権容認に対し理解を示す。
●2015年7月15日>集団的自衛権を含む「安保法制」が、公明党の賛成で強行採決!
この後【創価学会本体】は、公明党に全く抗議をしていない。
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